神社のご案内

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御由緒

創祀より現在まで

古町愛宕神社は、慶長14年に新潟浜村(現関屋地区)に京都最高峰の霊山である愛宕山に鎮座する愛宕神社本宮より御分霊をお迎えし、鎮斎されました。新潟町が古新潟と呼ばれる場所から今の場所に移転した明暦年間(1655~1657)に愛宕神社も移転しました。
 護国鎮火の神として長岡藩主牧野家の信仰厚く、享保6年(1721)には1060坪余りの境内地を賜ると共に、新潟町中より例大祭、四時祭のおりには御祈祷料を始めとして、諸費に至るまで供進頂いておりました。

御祭神・御神徳

火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)

御別称を火之夜芸速男神(ひのやぎはやをのかみ)火産霊神(ほむすびのかみ)といい、伊邪那岐伊邪那美二神のお産みになった最後の御子神「火の神様」です。
火で山野を焼き払い焼畑を作って、五穀をここに蒔き収穫をはかった「農耕守護の神様」、火の力を尊び火の持つ総てを焼きつくす力を怖れ防火の祈りを捧げる「防火の神様」、火の恵みを感謝する神として一般家庭では「台所の守護神」、冶金業・飲食業関係者からは「商売繁盛の神様」として、広く信仰されております。

伊邪那美尊(いざなみのみこと)

国生みの神様で「縁結び」「結婚」「夫婦円満」「子宝授け」の神様です。

天熊人(あめのくまひと・あめのくまうし)

古くはお米(稲)のことをクマといったもので、「五穀豊穣の守護神様」です。

境内社

口之神社(くちのじんじゃ)

明治17年、千葉県の口ノ宮神社の御祭神であります木内惣五郎(木内宗吾あるいは、地名から佐倉宗五郎とも称す)の御分霊をお迎えし、合わせて明和5年(1768)新潟町でおこった「明和の騒動」の首謀者である義人 涌井藤四郎・岩船屋佐次兵衛らをお祀りしています。
涌井藤四郎・岩船屋佐次兵衛等は極刑になりましたが、1000人近くの町民を扇動して長岡藩から二ヶ月弱もの市民自治を勝ち取った義民として、その後長い間、密かに町民たちの間で讃えられ、語り継がれてきました。明治時代に入り、この明和の義人の御霊を鎮めるために、同じ義人である千葉の木内惣五郎の御分霊をお迎えしたのが口之神社の起源です。
このような由来から、弱き人の声を聞き、正義を守り、正義を貫く人々の守護する「争い事を治める神様」「家庭円満の神様」、法曹界からは「司法試験合格の神様」「勝訴のご祈願をするお宮様」、選挙の際は「当選祈願のお宮様」として崇められ、また花柳界の信仰も厚い神様です。

※木内惣五郎を中心とした大きな農民一揆と口ノ宮神社
 正保2年(1645)、下総国佐倉12万石は徳川3代将軍家光の信任厚い堀田加賀守正盛が治めておりましたが、幕閣に参与し江戸に住まいすることが多く藩地にかえることがほとんどありませんでした。藩主の留守をいいことに、私腹を肥やさんとする国家老池浦主計をはじめとした家臣たちの悪政に対し、木内惣五郎を中心とした大きな農民一揆が起こりました。当然一揆の重要人物たちは、極刑に処せられました。ところがその後領主以下度重なる凶事が続いたため、惣五郎の御霊を鎮めるために神社を建立したといわれます。

※「明和の騒動」
明和5年(1768)、前年からの大飢饉により長岡藩に治めなければならない1500両のうち、半金の750両は納められたものの残りの半金が捻出できず、延分納をお願い致しました。明和の5年ころはどこも凶作で、新潟港には船の出入りもほとんど無く、米をはじめ生活物資は高騰し町民の暮らしむきは大変苦しくなっておりました。そこでさらに延期をお願しましたが、藩の財政も苦しく受け入れてはもらえませんでした。とうとう9月27日の夜6時ころ、涌井藤四朗・岩船屋佐次兵衛をはじめとする1000人近くの町民たちは早鐘を合図に蜂起し、町役人宅や米屋などを打ち壊し、約2ヵ月ものあいだ町民自治による町政が行われました。その後町民一揆は鎮圧され、中心人物たちは極刑に処せられました。

稲荷神社(いなりじんじゃ)

全国的には、倉稲魂神(かのみたまのかみ )を主祭神とする稲荷社が多いですが、本稲荷神社では、保食神(うけもちのかみ)をお祀りしています。  稲荷という言葉は、元来、稲生(いねなり)あるいは稲成(いねなり)という意味で、稲が立派に生成化育する守護をいったものです。稲荷を「いなり」となぜ読むようになったかといいますと、稲穂が立派に稔と刈り取って束ね、肩に荷って五穀成就の神様に捧げたところから「稲を荷う」との文字を使うようになったといわれています。生命の祖神とたたえられ、「命を守り育てて下さる祖神(子育て、病気平癒)」「五穀食物の守り神」「商売繁盛・商取引の守り神」「1年中の幸福守護の神」「人々の不浄・穢れを祓い、お守り下さる神」という5つの御誓願をもって私どもをお守下さる神様です。

特色

古町愛宕神社 本殿・拝殿

平成13年11月3日に新潟市有形文化財(建造物)指定をいただいております。 本殿は、建築時期は1700年代前半増改築もほとんどないのが特徴です。本殿正面の縁側には、1663年(寛文3年)と銘打ってある木造の高麗(こま)犬があります。
拝殿は本殿を納める覆屋と一体の建物です。1800年代以前の保存状態が大変よいとされています。