口之神社では、明和5年(1768)新潟町でおこった「明和の騒動」の首謀者である
義人 涌井藤四郎・岩船屋佐次兵衛らをお祀りしています。
涌井藤四郎・岩船屋佐次兵衛等は極刑になりましたが、1000人近くの町民を扇動して
長岡藩から二ヶ月弱もの市民自治を勝ち取ったとして、その後長い間、
密かに町民たちの間で讃えられ、語り継がれてきました。
明治時代に入り、この明和の義人の御霊を鎮めるために、同じ義人である千葉の木内惣五郎の御分霊をお迎えしたのが口之神社の起源です。
このような由来から、弱き人の声を聞き、正義を守り、正義を貫く人々の守護する「争い事を治める神様」「家庭円満の神様」、
法曹界からは「司法試験合格の神様」「勝訴のご祈願をするお宮様」、選挙の際は「当選祈願のお宮様」として崇められ、また花柳界の信仰も厚い神様です。

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